人的資本経営とは?伊藤レポートの内容、開示項目・事例まとめ
企業が中長期的に企業価値を向上する上で、財務はもちろん「人的資本」の戦略策定、投資の重要さは年々増しています。
日本の上場企業にも、人的資本情報の開示が義務化され、従業員や求職者、投資家から非常に注目されています。
今回は、人的資本経営の内容や人材版伊藤レポートの視点と共通要素、開示義務項目や開示事例などについて紹介します。
人的資本経営とは?
人的資本経営とは、従業員を会社の「資産」と捉え、教育機会の提供、能力開発、生産性向上などへの投資を行うことによって、中長期的に企業価値向上を目指す経営手法です。
経済産業省では、『人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方です。』と定義しています。
人的資本は、投資家から「企業の将来性を判断する指標」として非常に注目されており、労働人口減少や外部環境の激しい変化に対応し、企業が存続・成長し続けるためには、投資や取り組みを続けていくことが今後ますます重要視されると考えられています。
人的資本経営と従来の経営の違い
従来の経営では従業員を「人的資源」と捉えるのに対して、人的資本経営では「資本」と捉えることが一番大きな違いです。
人的資源という捉え方であれば、効率化したり削減することが望ましいと考えられますが、資本という捉え方であれば投資をして価値を向上させることが望ましいと考えられます。
また、従来の経営では、企業と従業員が主従関係のように終身雇用や年功序列制度などで従業員を囲い込むことが一般的でしたが、人的資本経営では企業と従業員は対等で、それぞれが互いを選ぶ自律的な関係とされています。
人的資本経営が注目される理由
人的資本経営が注目される理由を紹介します。
投資における無形資産の重要性拡大
これまで上場企業に投資する際は、財務諸表を元に判断することが多かったですが、年々非財務情報である人的資本やサステナビリティを重要視する傾向が強まっています。
2020年時点では、米国市場のS&P500では、時価総額の90%が非財務情報が占めるとされています。
2020年時点で日本の株式市場は、時価総額の30%ほどしか非財務情報が占めておらず、今後さらに拡大していくと考えられています。
雇用の流動化の激化、働き方の多様化
転職することが一般的になるなど雇用の流動化が激化しており、働き方も1人1人に合わせた働き方ができるように社会が変化しつつあります。
従来の画一的な対応を行うのではなく、個々を尊重し、時代に合わせて人事制度や雇用を適応させていくことが求められています。
技術の進歩によって人の付加価値の重要性拡大
AIやロボットの技術力がどんどん進歩することで、ルーチンワークや単純作業は機械への置き換えや自動化が進んでいます。
今後さらに技術が進歩する中、企業の競争において人だけが発揮できるクリエイティブやイノベーションの価値がより高まると考えられています。
サステナビリティの重要性拡大
SDGsやESGは、企業が社会的に果たすべき責任と考えられています。
企業は、人を資本として投資して育成し、様々な事情に合わせて働き方を整備すること、従業員の多様性を尊重することなど、サステナビリティへの取り組みの重要性が増しており、周囲からの期待や監視も強まっています。
人材版伊藤レポートによる人材戦略に必要な視点と共通要素の発表
2020年9月に経済産業省は、会計学者の伊藤邦雄氏が座長を務めて2020年1月から開催されていた「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」の報告書として「人材版伊藤レポート」を発表しました。
この「人材版伊藤レポート」にて、人的資本経営を進めるための人材戦略に必要な3つの視点と5つの共通要素について示されています。
人的資本経営を実現する3つの視点
人材版伊藤レポートにて公表された人的資本経営を実現する3つの視点を紹介します。
1.経営戦略と人材戦略の連動
持続的に企業価値を向上させるためには、経営戦略と経営戦略を実現するための人材戦略を策定・実行することが必要不可欠です。
また、各社によって経営戦略やビジネスモデルが異なるため、各社ごとに人材戦略を策定する必要があります。
また人材戦略においても、定量的に判断や改善ができるよう、具体的なアクションやKPIを設けることが有効です。
2.As is-To beギャップの定量把握
人材戦略がビジネスモデルや経営戦略と連動させるためや上手くいっているかを判断するためにも、As is(現実)To be(理想)のギャップを定量的に把握できるようにします。
定量化することによって、何が問題になっているのか、どのような改善施策を行うべきなのかが明確になり、PDCAサイクルを回せるようになります。
3.企業文化への定着
企業文化は人材戦略の実行プロセスを通じて醸成されるものであるため、人材戦略を策定するタイミングでどのような企業文化を目指すのかをイメージすることが重要です。
企業文化が文化として定着するよう、経営者は粘り強く発信し、KPIをおいて検証することが必要です。
人的資本経営を実現する5つの共通要素
人材版伊藤レポートにて公表された人的資本経営を実現する5つの共通要素を紹介します。
1.動的な人材ポートフォリオ
動的な人材ポートフォリオとは、従業員のスキルや経験、在籍経験などをリアルタイムに情報を反映させ、確認できるようなポートフォリオのことです。
未来の組織図や人材戦略を元に、人材ポートフォリオを確認し、最適化するための採用や育成、配置転換などを講じることも重要です。
2.知・経験のダイバーシティ&インクルージョン
非連続的なイノベーションは、多様な個人の掛け合わせによって生まれます。
そのため、個人も知識やスキル、経験、価値観など知と経験のダイバーシティを取り込むことが重要です。
ダイバーシティやインクルージョンを取り込むことでこれまでの同一性の高いチームから変化する中、社内だけでなく場合に応じて社外を巻き込んで協同するよう在り方を見直す必要があります。
3.リスキル・学び直し
事業環境の急速な変化、個人の価値観の多様化に対応するためにも、従業員の学び直し、スキルシフト、専門性の向上が重要です。
従業員がリスキル、学び直しができるように会社が環境を整え、従業員のキャリア構築を支援することが求められます。
特にITやAIの分野は、今後さらなる付加価値の向上には欠かせないため、ITやAIのリテラシー向上は必須です。
4.従業員エンゲージメント
経営戦略の実現、新たなビジネスモデルへの対応のためには、従業員に働きやすさややりがいを感じてもらい、主体的に業務に取り組んでもらえるよう従業員エンゲージメントを向上させることが不可欠です。
企業は、企業と個々人の成長の方向性の一致、企業理念への共感、情報のオープン化を進め、定期的に組織や個人の状況を把握する必要があります。
5.時間や場所にとらわれない働き方
従業員の働き方の多様化や事業の継続性から、いつでも、どこでも、安全かつ安心して働くことができる環境を平時から整えることが必要です。
在宅勤務やテレワーク、ハイブリットワークなどができるよう制度を変更するだけでなく、働き方に合わせて、業務プロセスやITインフラ、コミュニケーションの在り方や人事評価、マネジメントも変化させていく必要があります。
人材版伊藤レポートでは、上述の3つの視点と5つの共通要素を元に、具体的な人材戦略や取り組み、KPIを策定することが必要だと示しています。
人的資本経営に取り組むメリット
人的資本経営に取り組むことのメリットを紹介します。
組織作りを戦略的に実行できる
事業戦略を達成するためには、人材戦略を策定する必要があります。
そのため、人材戦略における指針やKPIを元にして、組織作りや各種取り組みを行うため、大方針に基づいた戦略的な組織作りの取り組みを実施することが可能です。
従業員や組織の情報をリアルタイムに確認できる
人的資本経営に取り組む中で、従業員個々人の情報を管理しつつ、組織全体のエンゲージメントや課題などの情報を把握する必要があります。
それぞれ動的に最新のもので管理・把握する必要がありますので、組織や従業員の情報がリアルタイムに確認できる環境や仕組みが作られます。
従業員の生産性が向上する
人的資本経営の取り組みの中で、働く場所やそれに伴う業務プロセス、社内コミュニケーション手法の整備、従業員教育への投資など従業員が業務をやりやすくなり、スキルアップできるような環境が整備されます。
従業員エンゲージメントが向上する
従業員の働きやすさややりがいを高めるための制度の整備、投資、企業の取り組みなどを通して、従業員がやりがいをより持てるようになること、主体的に会社に貢献したいという思いをより強めることが期待でき、従業員エンゲージメントが向上すると考えられます。
採用における魅力度が向上する
従業員が働きやすい環境が整い、組織の多様性が受容され、企業として今後さらに人材戦略を遂行していくことが予想されるため、その会社に魅力を感じる求職者が増えることが期待できます。
他の何も取り組みを行っていない企業とどんどん差が生まれ、魅力度がどんどん向上していきます。
投資家からの魅力度が向上する
人的資本経営を戦略を策定し、KPIを設けて取り組むことは、投資家からも企業の中長期的な存続・成長の観点からも、サステナビリティの観点からも良い評価を受ける可能性が高く、企業価値の向上も期待できるため、投資対象としての魅力度が向上することが考えられます。
人的資本経営で日本企業が開示すべき情報
人的資本の情報開示は、2023年3月期決算以降の上場企業4000社を対象に義務化されています。
対象となる企業は、毎年度終了日から3ヶ月以内に必要事項を記載した有価証券報告書を提出する必要があります。
具体的な項目は、下記の7分野、19項目です。
- 人材育成(リーダーシップ、育成、スキル/経験)
- エンゲージメント(従業員満足度)
- 流動性(採用、維持、サクセッション)
- 多様性(ダイバーシティ、非差別、育児休業)
- 健康・安全(精神的健康、身体的健康、安全)
- 労働慣行(労働慣行、児童労働/強制労働、賃金の公正性、福利厚生、組合との関係)
- コンプライアンス(コンプライアンス/倫理)
人的資本経営の開示事例
人的資本経営の戦略やKPI、取り組みなどの開示事例を紹介します。
株式会社SHIFTの人的資本経営の開示事例
画像引用元:IRライブラリ一覧 – 株式会社 SHIFT
株式会社SHIFTの開示事例では、資料内に「人的資本経営の考え方」の項目があり、明確にKPIとその指標について記載されています。
自社の従業員が生み出す売上(LTV)を最大化することを目標としており、非常に分かりやすくまとめています。
この画像以降のページで各KPIと関節指標の推移や内容について説明されています。
旭化成株式会社の人的資本経営の開示事例
画像引用元:IR資料室 | IR情報 | 旭化成株式会社
旭化成株式会社の開示事例では、人財における主要KPIを3つ「高度専門職人数」「エンゲージメント調査「KSA」成長行動指標の推移」「ラインポスト+高度専門職における女性比率」を定め、その経過をグラフで可視化しています。
単年ではなく、過去からどう変動しているのかを可視化していることがポイントです。
経営戦略を実現するために、人財戦略を策定し、取り組みを開始しましょう
今回は、人的資本経営の内容や人材版伊藤レポートの視点と共通要素、開示義務項目や開示事例などについて紹介しました。
上場企業では既に人的資本経営に関する情報開示が義務化され、KPIを設置し、戦略的に取り組んでいます。
上場企業ではなくとも、会社の経営戦略に人財戦略を紐づけて、戦略的に活動していくことが求められます。
ぜひ、会社と従業員が共に成長する関係を作り、より良い事業活動と組織作りを行ってください。